作り続けることの大切さ

情報の並列化が進み、時代の閉塞感に息苦しささえ感じるというハラカミ氏は、それを打破していくために「作り続ける」という才能が必要だと語る。独自のエレクトロ・ミュージックで国内外から注目されるハラカミ氏に時代と音楽制作との関わりを中心に話を聞いた。

拠点を地方に置く理由

柿崎:仙台は牛タンというイメージとのことですが、仙台という街の外から来た人の仙台に対する先入観や街のイメージみたいなものがどうしても気になってしまいます。内側にいてはどうしても見えない部分というか。特に仙台は全人口の5%が転勤族と学生という転入、転出を繰りかえしている都市という性格も持っているので、仙台にどんなイメージを持って転出していくのか、いいイメージなのか、悪いイメージなのか、その積み重ねが街のイメージを作っているような気もします。

ハラカミ:なるほど。そうですね。東北の中心都市というイメージはありますね。どうしてもまだ2回目で、いつもバタバタして帰ってしまうので。「その日来て、次の日帰る」みたいな。だから観光がなかなかできないんですよね。牛タンもまだ食べれてないんですよ。

柿崎:牛タンのおいしい店を知っているので教えますよ。ところで、今、活動の拠点が京都ということですが、京都である必然性というのは何かあるのでしょうか。

ハラカミ:学生の時に、18歳の時に広島を出て京都の芸大に行って、そのまま住みついてしまっただけなんです。実は京都だからということにこだわって活動しているわけではないので。

柿崎:他のところに行こうというか、行く必要がないということですか?

ハラカミ:こういう仕事柄ということで言えば、大阪や東京という選択肢はあったと思いますが、あと5歳年とっていたら行っていたでしょうね。ちょうど2000年くらいから僕は忙しくなっていったので。それとやっぱりネット環境がどんどん整備されていって、行かなくてもよくなったんですね。

柿崎:ICTの発達で実際場所は関係なくなってきているというのは、クリエイターの方たちから良く聞きます。

ハラカミ:以前だと、音を一端DATに落として、その物質をいちいち郵送するという形だったのですが、どんどんそういう作業をしなくてもよくなっていって。今はほとんど物質化することなくデータで送って終わりです。

技術革新が表現とともに歩いていた時代は終わった

柿崎:ハラカミさんの音楽制作の中で、機材の進歩の影響というのはどれくらいの割合を占めるのでしょうか。

ハラカミ:影響は確かにありますが、僕自身は機材をあまり変えていないので。昔だと機材の進歩に人もついていくみたいなことでやっていたと思うんですが、僕のころはもうほぼそういうのは落ちつてしまっていて、技術革新が表現とともに歩いていた時代は終わってしまっていたという印象ですね。

柿崎:それでは、今、音楽制作をする上で一番重要なのはどのようなことになってきているのでしょうか。

ハラカミ:僕自信は正直、21世紀に入ってからあまり流行すたりはどうでもよくなりましたね。90年代までの音楽だと新しいリズムが新しいジャンルを作るというのがあったんですけど、21世紀に入ってそういうのはなくなったなあと思っていますけどね。そういう音楽が、90年代で疲れ果てたというのもあると思うし、情報がたくさんあって、30年前の音楽と今の音楽を並列に聞けるようになってきたということもありますね。情報が並列化されているんですよ。僕の時代ですと、レコード屋行っても5年くらい前のものまでしか置いてないみたいな。そうじゃなかったらすごい名作しか置いていない。今やすごいレアなものでもちゃんとあるじゃないですか。Amazonが普及したのもありますけど。そういう意味では、今の方が情報が整っている気がするんですが。

柿崎:膨大な量の音源のストックにいつでもアクセスできるようになったということですね。

ハラカミ:今の10代なんて、自分が聞きたいと思う音源は、ほとんど全て手に入るんじゃないですか。昔はそれこそ、お金があっても買えないみたいな。それで余計いろんな音楽が、良くも悪くも変な熟成感はあったなと思います。今の方が、歴史が積み上がって行く息苦しさのようなものを感じますね。

柿崎:今作っているような音楽を始められたきっかけは何だったのですか。

ハラカミ:僕が20歳過ぎたぐらいから、ちょっとずつ打ち込みというか電子楽器的なものが安くなってきていたのでやりやすかったというのがあります。今は、一人で音楽を作るのが容易になっています。バンドやるよりも。メンバーが集まって、スタジオ借りてという方が今やお金がかかるという。23、4歳で打ち込みをまじめにやりだした感じです。当時は手癖みたいなものからの解放というのはありましたね。