同時代性とコンセプトの重要性について

柿崎:今、「日常生活に溶け込むこと」と「場に規定されない」という言葉が出ました。FesLabで考えているフェスのキーワードの一つとして、テクノロジーがあるのですが、テクノロジーがどんどん生活の中に溶け込んでいった時、今後は同時にデザイン性や芸術性が求められるようになっていくと思うのですが、 いかがでしょうか?

三上:新しい技術が出てくると、アーティストのアートに対する考え方も、概念からどんどん変わっていきます。それがアートの面白いところでもあります。デザインとアートの線を引くのも難しくて、視覚的な表現ということで言えば、デザインとファイン・アートの間に線を引く事は本当に難しいですね。アートがアートであるためには、クリエイターが「これがアートだ」と言えばアートだということぐらいでしょうか。ただ、学芸員としては、表現としてのクオリティを維持しているかどうかを判断します。当然、作者はデザイナーでデザインのフィールドで発表しているかもしれないけれども、今日的なアートとして面白いというか、アートとしても優れているから、美術館の展示室で発表してみないかというようなこともあり得ます。

柿崎:アートをデザイン的な視点で見たり、デザインをアート的な視点で見たりして今の時代にマッチした表現としてアピールしていくということでしょうか。フェスでも参考になる方法ですね。

三上:日常生活の中にあるデザインなのに、それを美術館の展示室に置く事によってアートになる。昔からそういうことがあって、いろんな人たちが試みてきました。もちろん歴史をさかのぼっていけば、今の私達が美術と言っている彫刻だって、寺院やお城の中の飾りだったりするし、絵画だって、インテリアに近いものだったりしたものを、今はファイン・アートと呼んだりしているわけですから。
 それぞれの時代でそのアートの見方は変わっていくし、評価も変わっていくということです。ただ、そのスピードが早くなっているのは確かだと思いますよ。この間までデザインと言っていたものがすぐにもうアートになってしまうというか。
 石ころを持って来て、これがアートだと言えばアートになっていくというのは、作家の思想がそこまで行っているかどうかというところが判断基準になります。作家の思想性が高ければ、ただの石ころもアートになります。まあアートを規定する壁というのはなくなっていて、例えばデザインと建築など顕著な例です。建築は今一番面白いアートだったりします。スケール的にもそうですし。またアートイベント自体がアートだったり。こうした企画では、アーティストより上にディレクターやキュレーターと呼ばれる人がいて、その人たちの表現方法ではないかとも思います。
 アートイベントやフェスティバルというのも、いろんな作家が集まってやるけれども、それを組織する人が何を目指していくのか、都市という場をいかに美術館の展示室に代わるものにしていくかということが最終的には問われます。それだけディレクターやキュレーターへの注目度も増しているということですね。

柿崎越後妻有トリエンナーレの北川さんのような方ですね。

三上:ディレクターが誰を選ぶかということが問われていくわけです。この場所にふさわしい作家とか、この企画にふさわしいアーティストを選ぶ。もちろんアーティスト一人一人の仕事も見ていきますけれども、やっぱり個展やワンマンショーじゃないので、それが企画を考える上でとても重要だと思いますね。

柿崎:三上さんが学芸員として展示の企画をする際、誰を選ぶか、どういうテーマにするかということをどのようにして決めていくのですか?

三上:やはり宮城県美術館というところで仕事をしているので、宮城県の文化的風土や歴史というバックグラウンドを踏まえた上で、前川圀男設計の宮城県美術館というハードウェアを考えながら組み立てていきます。仙台で展覧会をやるということは、東京や大阪や名古屋でやる展覧会とは違うということです。仙台市、宮城県にある美術館としてやるべきことは何かということです。来館者も仙台や宮城の方が圧倒的に多いわけですから。東京と同じことを考えてもしょうがないわけです。

柿崎:それは私もFesLabの研究活動で痛感しています。仙台でやるということなのです。その必然性が自然に認知されるようなものだと良いと思っています。仙台が中心となって世界に何を伝えていくかということも重要です。もはや中央と地方という安易な二分類はできない状況に既になってきているのを痛感します。