日常の視覚体験から生まれるオリジナリティ

三上:最新の動向を紹介するということは基本的な考え方として必要ですが、東京、横浜、パリ、ニューヨークでやるのと違って、仙台でやるということの意義が否応なく問われます。農業や漁業との関わりをテーマにしたり(笑)。でも、わかりやすすぎても良くなくて、ベタでも良くないです。ちょっと気がついた人が「ははあ」と思ったりする仕掛けというかディレクションが必要でしょう。

柿崎:そうですね。最近、仙台に住んでいるデザイナーやアーティストの方が農業に興味を持っていたりする話を聞きます。ちょっと市の中心を抜けると田園風景が広がっていたり、少し移動すると港があったりという環境のせいもあるのかもしれませんが。

三上:私は実家が農業なんです(笑)。確かに農業は面白いと思います。田んぼごとに風の流れが違ったりします。蓄積された経験に基づいて職人的に取り組んでいるわけです。ものづくりという点でデザインやアートと共通するものがあると思われがちですが、私は別物と考えています。農業がデザインやアートになってはいけない(笑)。
 むしろ、風土というか風景ということの方に注目すべきだと思います。日々目にしている風景が仙台に住んでいる私たちのビジュアル経験の基になっているわけです。ここで生まれ育ってきた、今住んでいる人にとって、身の回りの風景はすごく大切な視覚体験だということです。それをどう豊かにしていくかというところに、デザインやアートの機能があると思います。
 農村に住んでいるアーティストを何人か知っていますが、彼らは近隣の農家の手伝いをしながら創作活動をしています。農業に携わって農家の方達の役に立ちつつ、創作にエネルギーを注ぐ。自分で一から農業を始めて創作の時間がほとんどないというのは、本末転倒です。農村に住んでいるアーティストの多くは、農業が好きというより、農村の環境や風景に創作意欲を触発されるから住んでいるんだと思います。

柿崎:日常風景が視覚体験の基になっているということと、今目にしている風景は確かにここでしか見る事ができないものです。そこに仙台でフェスをやるヒントがあるような気がします。

三上:都心部にあるメディアテークとここ宮城県美術館の一番の違いは、風景です。私がここで仕事をしている理由の一つでもありますね。環境が仕事を規定するということは確かにあると思います。

柿崎:私もこの美術館が大好きで、学生の時から通っていました。展示を見に来るというよりも贅沢な空間が好きで。エントランスの広々とした空間や川の流れる音と木々のざわめきが聞こえる庭園。ここで読書をしたり、企画を考えたりしていましたね。

三上:美術館というのはそういう空間だと思うんですね。本を読むとか、考え事をするとか、何となくクリエイティブだから。そしてそこに先人というか昔の人の作品があったりすると、励まされるんです。本物があって、展示室に入って絵の前に立つとわかりますけど、この位置に立ってこの人は描いていたんだなと。そこへ時間と空間が移動できるわけじゃないですか。ここでこうやって手を伸ばしてという風に。作品のエネルギーを感じられるんですね。そのエネルギーがプラスだったり、ときとして、打ちのめされるようなマイナスだったりするわけですけどね(笑)。
 あまりこうはっきりとした目的がある場所じゃないんですね。そして贅沢な空間というところが大事なところです。ぼけーと考え事をするところでいいと思うんです。図書館だと知のオーラのようなものが出ているので受験生が集まってきて勉強したりしていますが、美術館はクリエイティブなオーラが漂っている場所なのではないでしょうか。テレビ画面で美術を鑑賞しても、知識としてわかったつもりになりますが、本物の前に立つと本物のオーラに圧倒されてしまうわけです。本物の時間を積み重ねてきたものが持っているものというのは博物館に行くとわかりますけど、視覚だけではなく嗅覚も刺激します。漆の臭いとか、防虫香とか。